母の日は、母を思う日

 来月、母の七回忌が行われる。…行われるといっても、準備するのは私なのでこれから段取りしていかなければいけない。去年は父の十三回忌、そしてこの間に親戚の葬儀やら法事にも参列した。両親が他界して、代替わりしているためにこういう機会が増えていくのは仕方がないけれど、それにしたってこの歳ですっかりご隠居みたいな感じになってしまっている。

 さて、今日は母の日。母が亡くなると縁がなくなるかと思っていたけれど、そうではなかった。私にとって母の日は、母を思い出す日である。

 六年前の今頃は、自宅療養をしていたのだけれど、まだ小康状態が続いていて、食事をしたり、話したりすることもできた。今日のように穏やかに晴れた日などは、車いすではあったけれど、外に出かけることもあった。

 そんな母が亡くなる前まで作っていたのがステンドグラスである。いまでは母の道具を使って、私がガラスと格闘しているのだから、不思議なものだ。このステンドグラスも、私がはじめて五年ほどになる。いろいろ作ってきたけれど、今回のはかなり骨の折れる作品に取り組んでいる。それでものんびりやれれば問題もないのかもしれないけれど、贈る相手の結婚式までに仕上げなければいけないのだから大変だ。

 一か月前の日記でも触れているけれど、このときはガラス板を特殊なカッターで切る段階。ステンドグラスの加工は、デザインを考える→材料(ガラス板)を揃える→ガラス切り→パーツごとの研磨→接合テープ貼り→はんだ付け→仕上げ(染め)という工程がある。現在は、はんだ付け。連休を挟んで、かなり進めたのはいいのだけれど、はんだ付けをきれいにしないと作品そのものがダメになってしまう。ただパーツをくっ付ければいいというわけではなく、いかにムラをなくすのかが大切で、それだけ時間も手間もかかる。

 母も、よく机に向かってステンドグラスを作っていた。ガラスはワレモノだし、はんだも油断するとヤケドしてしまうから、作業には集中しないといけない。けれどもそうやって作品に向き合うのがいいとよく言っていた。いまならその気持ちがよく分かる。